「カフェ」化する「ゼミ室」

 今日は、先日のさがまちコンソーシアム企画参加メンバーが久しぶりに大勢集って、 劇場から持ち帰ったものの返却・整理とすっかりカオス状態の研究室の片付け作業に元気に取り組んでいました。

 私の研究室は、いつの頃からか学生達に勝手に「ゼミ室」と呼ばれています。

 週に1回のゼミの授業はもちろん他の教室でやってきたのですが、おそらく、それ以上にこの部屋で過ごす時間の方が彼らにとって「ゼミ」活動なのだと思います。

 現在、ホワイトボードと棚で空間を仕切って私は自分の仕事スペースを確保しテリトリー争いを繰り広げていますが、既に半分以上をゼミ生達に占領されております…。  そして、あまりに汚くなると、「ここは私の研究室だ!、自己管理できないなら、みんな追い出してやるぅ!」と爆弾が落ちたものですが、最近は、美化委員マナの限界が私の限界より先にやってくるので、私がキレる前にマナがキレてくれて、学生達の自主的な「お掃除」が行われ助かっています

 

 思い返してみれば、着任1年目はA棟に研究室があり、最初から手狭でした。ゼミ一期生の卒論追い込みの様子の写真が出てきました。 ナツカシイ…

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 一見フツ-に見えますが、この時既に、4年生の殺気だった空気に耐えられずに部屋を出て行った3年生達がドアの向こうの廊下で昼食をとっていました…

 そして、翌年、G棟研究室への移転について募集があり、古いけど広い!と聞いて、迷わず手を挙げました。

 現在W学科の教員となった4名がこのときG棟族になったわけですが、「資料の保管にスペースが必要」「実験器具の置き場が必要」など、他の先生方が正当な移動希望の理由を述べる中、私は「ゼミ生が部屋に入りきれず廊下でご飯を食べているので」と正直に言い、失笑をかいました。

 G棟への引っ越しの際、当時のゼミ生達の提案により、一角に「畳スペース」ができました。 ごろんごろんしながら本を読んだり、本当に爆睡したり、色んなヤツがいました。(まぁ、既にこの頃から全く「研究室」らしくはありません…ね…

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 それからさらに月日が経ち、モノも人も増え、色々な模様替えの案を試し、結局のところ、より大勢で集まることのできる現在の土禁エリア最大化のワンルーム(?)の間取りになっております…

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 もちろん、舞台やムーブメント教室の企画前は切羽詰まった打ち合わせや作業に占領されることもあるのですが、それ以上に、日常の何でもないことに使われることの方が多く、ゼミ生達(ゼミ生以外も)この「ゼミ室」でお茶したり、食事したり、しゃべりまくったり、勝手に本を読んだり、ネットしたり、〆切ギリギリのレポートを仕上げたり、自然発生的に鍋パーティを催したりして、過ごしています。

 だから、そんな彼らと彼らに必要なモノ達で部屋は埋め尽くされるわけです…。

 人間、環境に適応する力はつくもので、彼らがどんなにうるさくしていても、私は背中を向けて黙々と仕事できるようになりました。
 でも、どうしても集中できないときは、ノートPC持参で学科資料室に脱出します。…自分の研究室から追い出される大学教員ってナニ…
(時々、同じ目に遭っているお隣の堂前先生を見かけて励まし合います。)
 
 だから、年に数回は、「ここは私の研究室だ!みんな追い出してやるぅ!」の発作が起こるわけです。
 
 でも、飯田美紀『caféから時代は創られる』(いなほ書房 2008)という本を読んでから、もしかしたら、この部屋には、「創発空間としてのカフェ」的意義があるのかも…、それならもう少し大事にした方がいいのかしら…と思ったりもしています。
 
 思想や芸術分野などでも新しい時代はヨーロッパのカフェが生みだしていったそうです。「天才たちがカフェにやってきたのではなく、カフェという場が天才たちを創っていったのでは…」と述べられていますが、多様な人々が、入れ替わり立ち替わり集い、そこから新しい「知」が生み出されていくというふうにとらえると面白い「場」のあり方かもしれません。
 今、企業でも、他者とゆるやかにつながり対話・交流する中で、改めて自分の仕事の意味を問い直したり、新しいアイディアや気づきを得るための場として、「カフェ」のような場を創ろうという動きもあるそうです…
 
  学生の集まる場だと「アジト」と呼ぶ方がまだフツ-(?)なのかもしれませんが、どうもしっくりこなくて、「カフェ」という理解に今のところ納得して、もうしばらく同居してみようと思ったわけです。(もちろん、私もこのカフェの利用者でもありますし…。)
 
 でも、さらに最近では、益々家電や調味料が溢れかえり、「集っている」…というより、「住んでいる」という感じの学生達が増えてきて、生活感漂う「ゼミ室」になってきてしまい、これは、「カフェ」なんておしゃれなもんじゃないな~とも思えてきて、自分の家とは違うもうひとつの「家」なのかな…、子どもが空き地に創る秘密基地みたいなものかなぁとも思っています。
 
 まぁ、何れにしても、ここまできたら、「ゼミ室」の「場」の意義をゆっくり観察しながら考えて、彼らと共生していきたいと思います。
 ゼミ室がキレイになると、さぁ、何をしたくなるかというと、結局、彼らは宴を催すわけです…。

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 本日の作業、無事終了、お疲れ様~の鍋会と先日のMZ011のビデオ会を開催したようです。プロジェクターでブラインドをスクリーン代わりにして、新しい楽しみ方を見つけたようです…