敬愛なる仙人様-ケイスケ先生の訃報を受けて-

 今日は、悲しいお知らせが届きました。

 

 尊敬するケイスケ先生がお亡くなりになったそうです…。

 

 私が着任した翌年度には定年退職されたので、ご一緒できた時間は少しなのですが、和光大の楽しみ方を身をもって教えてくださった、仙人様のような方でした。

 お弟子さんのような学生さんや卒業生の皆さんがいつも研究室に溢れていて宴を催しながら、ちょっぴりほろ酔いのケイスケ先生と活発な議論を交わしていました。

 会議中も、ふらりふらり、悠々と過ごしておられるのに、ここぞというところで、鋭い目を開いてズバッと発言なさる姿に「かっこいい~」としびれておりました。

 

 全てを見透かされているようで、お話するときはどきどきしながら癒されました…。何を言われるか怖いけど、何度もお話を聞きたくなる…そんな先生でした。

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 定年の年、古稀のお祝いの宴会にで、何代ものゼミ生達が集まった席で、照れて嬉しそうに笑っている先生の姿…。

 

 当時、古稀の意味が「人生七十(しちじゅう)古来(こらい)稀(まれ)なり」=古来七十まで生きる人はめったにいないと言うことだと知り、「今の時代、70歳まで生きる人は沢山いるけど、たしかにこの人は『稀なり』…だ」と考えたのを思い出しました…。
 大学の様々なことが移り変わる中、ケイスケ先生だったら、こんなとき何とおっしゃっただろうか…と自然と考えてしまうことが何度もあったように思います。

 

 ケイスケ先生の為さること、周りの学生さんや卒業生の皆さんの姿…、貴重な有り様を生で体感した者としては、今、和光らしさとは何だろう…と迷うばかりの日々だからこそ、今回の訃報は思った以上に重くこたえているのかもしれません…。

 

 なんだか、今日は脱力で、ちょっとぼぉっとすると涙がこみ上げてきそうなのです…。

 あまり体調がよろしくないと随分前からうかがっていたのに、お手紙を交わしたり、他の先生と思い出話を何度もしていたのに、なぜにもう一度、直接に会いに行こうとしなかったのだろう…と悔やみます。

 なんだか、もう一度近いうちに会えると勝手に思い込んでいたような気がします…。

 人の命には「約束」がないと言うことは解っているのに…、私にとっては「仙人」のような方だったからでしょうか…。後悔です…。

 

 今日は、「身体表現とパフォーマンス」の授業の日でした。

 9年前に初めての学生達と授業発表会を企画したとき、ケイスケ先生が励ましてくださり、本番も暗いホールに観に来てくださって「よくぞ、やった!」と褒めてくださいました。

 今年も12月初めに発表会を開催しますが、この授業も色々な意味で実施が難しくなってきたと感じています。

 今後については悩むことは多々ありますが、とにかく、今年度は、先生への感謝の気持ちを込めて、今年の学生達の舞台づくりに丁寧に寄り添っていこうとあらためて誓いました…。

 

 ケイスケ先生、ありがとうございました。

 ご冥福をお祈りいたします。

 

【後日追記】↓

勁介先生に見た和光らしさ (鈴木勁介名誉教授追悼)     和光大学現代人間学部紀要(5) 

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