子育て中に考えるアフォーダンス~環境が人に与える行為の可能性~

 久々に劇場に出かけました。しかも長男Qを連れて…。
 ここのところ、大学とQの保育園と自宅を車で行き来する以外のことをやっていなかったので、さすがに身重の私は動きが鈍く、子連れの遠出ですっかりクタクタです。
 いや、遠出だからクタクタというわけではなく、Qが世界とお話するのに付き合うのが大変なのです…。
 久しぶりの地下鉄や日常とは違う空間、初めてみるモノにワクワクのQは、気が済むまで身体で環境とお話します。徒歩5分の道のりがあっという間に30分です…。
 立派な柵は鉄棒みたいで、よじ登って横渡りをするのが楽しいようです。
 階段だって、色々な階段があるんだから、お尻でずりずり降りたり、後ろ向きで上ったり、上り方下り方だって色々がいいのです。
 小さな身体だけがギリギリすり抜けられる隙間をすり抜けないわけにはいきません…。
 劇場のふかふか絨毯スロープは「転がりなさい、ほら、ゴロンゴロンしてみなさいよ、気持ちいいわよ~」ってQたんに言ってるんだと思います…
 
 我が子ながら、好奇心の塊みたいなQの行動を見守るにはかなりの胆力が必要です…。もうすぐ4歳、益々その度合いが増してきた気もします。本当に疲れました…  
 
 ただ、この体験が、大変だけど同時に子どもを産んで本当によかったと思うことの一つでもあるのです。
 「アフォーダンス」という用語があります。
 「afford:~を与える」という語を元にする生態心理学者ギブソンによる造語です。 このことばに出逢ったのは、もう10年以上も前、大学院のとき、佐々木正人先生の講義を受け、とても興味がわいて、本も何度も読みました。 身体表現の世界でも、ムーブメント教育でも、「身体と環境との対話」について知ることはとても重要だと思ってずっと考えてきましたが、 我が子の誕生後ここまでの発達の経過と共に、やっと実感をもつことができ、その上で、ムーブメントの活動での子ども達や学生達の発想を見ると面白い気づきがあります。
 「環境」は様々な行為の機会を私達に与えてくれています。 例えば、先日学生達の主催で開催された「わたげちゃん水の冒険」のプールムーブメントのプログラムでも、「水」という環境は、私達に「浮く」こと以外にも、多くの行為を与えてくれているのが解りました。

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  さらに、同じ環境でも、知覚者によって異なるアフォーダンスが知覚されるということも大事で、例えば、ゾウとアリでは、一本の木に知覚するアフォーダンスはかなり異なります。  だから、その環境にあるアフォーダンスを知るには、その中で動いて何かをしようとしている人(動物)を実際に観察してみるのが一番なんですが、 Qの場合、誕生からこの数年の間に、日々変化(発達)してきたので、ピックアップする情報が違ってくるのも面白いことだと思います。

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(たんぽぽに出逢ったら「綿毛フー」が終わるまで進めない…💦 私も大きく深呼吸「ふぅぅ~」)
 
 寝ているだけの赤ん坊だったQが寝返りができ、お座りができ、立って、歩くようになって、ついには跳んだり走り回ったり転がったりするようになってきた過程を振り返ると、 環境との関わりが彼に様々な行為の機会を与え、その動きが身体のふるまいに発達をもたらし、 そしてまた、動きや行為が変わると、それまでとは違う環境のレベルの発見があり、新たに発見された環境が新たな行為の機会を与えているのだと思います…
 そうですねぇ~、例えば…、 赤ん坊のときのQは、ふわふわした布製の犬のおもちゃが、「ベロベロになるまで舐める」とか「かみつく」とかいう行為をアフォードしていることを教えてくれたのですが、 3歳10ヶ月ではさみを上手に扱えるようになったQには、同じおもちゃが「穴を開け、中の綿を引っぱり出す」という新たな行為をアフォードしていることを教えてくれました…
  …さようなら、わんわん、長い間お疲れ様でした…